無門関という、禅の書籍があるのはご存じでしょうか。
日本の古来からの教え。
仏教の本ですね。
古いものが残っているのには、それなりの理由があります。
昔、大切なことだからと、残しておきたいと願った人がいるから。
こういった本に、昔の人が後世の人の生きる糧になる様に考えたことと、
切なる思いが秘められているようにも感じられます。
さて、今回ご紹介したいお話は、
無門関第五則、「香厳(きょうげん)上樹」
お話を平たく言うと、
ある人が木に登り、樹を口に含み、
枝に手をつかず、足で樹を踏まない。
つまり、ぶら下がっている状態です。
そして、樹の下に人がいて、
「仏教の真髄は何でしょう?」
と、ぶら下がっている人に問います。
ぶら下がっている人は、
この問いに答えなければ、この世の全ての大切なものに背いてしまいます。
でも、口は樹を噛んでいて、ふさがれています。
答えれば、樹から落ちるのみ。死んでしまいます。
こういった時、どうするべきか?
という話則。
いわゆる、禅問答ですね。
こういった時は、どうするべきか・・・。
といったお話なのですが、
まず、話が矛盾していますよね。
問いについて話すと死んでしまうし、
話さなくてもだめ。
まるで、社会の、世間の混沌を現したような話則です。
正解も、不正解もない。
私は、こういったお話しの一つ一つが、
世界の真実を示していると解釈しています。
つまり、一般的な答えでは、正解ではない。
正解することが出来ない。
心で、解釈する事が出来なければ、このお話は理解することは出来ないのです。
もし私だったら・・。
体で、無言で答えるかな・・。
分かってもらえるかどうかは、別として。